第4回 死ぬときの倫理

 わたしたちは、いつかこの世界とお別れをしなければなりません。わたしたちは、自分の人生の終わりをどのように迎えるのがよいのでしょうか。そして、親しい人の人生の終わりに際し、わたしたちはどのように振る舞うべきなのでしょうか。今回は、人生の終わりの倫理について改めて考えてみたいと思います。

尊厳死

 できるだけ長く人生を楽しみたいと、多くの人が願っていると思います。長寿はかけがえのない価値です。しかし、長く人生を生きることと、人生を楽しむこととが両立しないような難しい場面に直面することは、決して稀(まれ)とは言えません。

人生の最終段階において、さらなる治療によって病状が改善することが見込めないとき、過剰な延命治療を行わずに自然なしかたで死に至ることを尊厳死といいます。「尊厳」とは、人間がもっている人間らしさの尊重ですので、したがって尊厳死とは、「人間らしく死を迎えること」という意味になります。

人間らしく死を迎えることは、人間らしく生きることでもあります。理念としての尊厳死には、わたしたちの多くが納得し、共感していると考えてよいように思います。

しかし、倫理的問題は現実の実践のなかにたくさん潜んでいるのです。たとえば、人生の最終段階といっても、いつから最終段階といえるのか、必ずしも明確ではありません。また、たとえば「過剰な延命治療を行わずに」と言っても、どのような延命治療がその人にとって過剰と言えるのでしょうか。また、たとえば、事前に尊厳死の希望を表明していた人が、意識を喪失してしまった場合、本当に事前の意思の表明に沿って治療を制限しても良いのでしょうか。

厚生労働省では「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(平成30年改定)を定めています。このガイドラインは、人生の最終段階における治療の差し控えと、治療の中止についてのもので、どのようなプロセスで死のあり方について意思決定をしていくとよいのかという観点からこれまで日本で交わされてきた議論がまとめられています。

アドバンス・ケア・プランニング

 人生の最終段階における意思決定プロセスにおいて、日本でも最近になって認知され始めたのが「アドバンス・ケア・プランニング」です。「人生会議」という日本語訳で目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。

アドバンス・ケア・プランニングとは、患者さんが家族や医療従事者と、あらかじめ治療方針やケアのあり方、いずれ必ずくる人生の最終段階の過ごし方を計画するプロセスのことを指します。重要なのは、わたしたちひとりひとりのアドバンス・ケア・プランニングは家族や医療従事者に囲まれたコミュニケーションのなかでできあがってくるということ、そして、アドバンス・ケア・プランニングは一度きりのイベントではなく長く続くプロセスだということです。

 日本の文化は、家族の会話で死を話題にすることを避ける傾向にありました。それは自然なことのようにも思えます。しかし、ケア・プランニングの欠如により、望まない生を生きざるをえなくなってしまうことはできれば避けたいものです。だれもが自分の生を望み通りに、という理想のためのひとつの手段として、アドバンス・ケア・プランニングを捉えてみるとよいかもしれません。

(文:医療倫理懇話会)

今回のテーマについてさらに知りたい方には下記の本がおすすめです。

・『シリーズ生命倫理学4 終末期医療』(シリーズ生命倫理学編集委員会編・安藤泰至責任編集・高橋都責任編集/丸善出版)

また、厚生労働省の「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」(平成30年改定)は下記のサイトから見ることができます。

「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」の改訂について |報道発表資料|厚生労働省
「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」の改訂についてについて紹介しています。

※おことわり:この記事は市民向けのもので、学術的な厳密さよりも、理解のしやすさを優先しています。また、お問い合わせをいただいても回答しておりませんので、あらかじご了承ください。(ホームページ管理者)

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