第5回 医学研究の倫理

 新型コロナウイルス感染症が猛威をふるった2020年、春先から世界で一斉にワクチン開発が始まり、急速に進められました。新聞やテレビニュースはワクチン開発の一挙手一投足を報じ、情報は溢れていました。そのおかげで「治験」や「第I相」や「プラセボ」など、普段ならばおよそ目にしない臨床試験関連用語について目にすることになる人も多かったのではないかと思います。

研究を審査する委員会(IRB)の役目

 新型コロナウイルス感染症ワクチンにかぎらず、治験を実施する医療機関には治験審査委員会(Institutional Review Board: IRB)の設置が義務づけられています 。IRBは、研究参加者(患者さんあるいは健康なボランティアの方)をアドボケイト*1する倫理のガーディアン(守護者・監視者)です。

研究の倫理的ポイント

IRBが治験の実施を審査するとき、研究参加者の人権保護の観点からチェックすべきポイントがあります。要点は、(1)研究参加者によるインフォームド・コンセント2が適切に行われるよう、説明文書は遺漏なく、正確に、分かりやすく作られているかどうか、(2)研究参加者が当該の治験に参加することで背負うリスク3はどれくらいか(リスクには身体的なリスクだけでなく、精神的、社会的・経済的リスクも含まれます)、(3)研究参加者のリクルート(募集)方法、社会へのアカウンタビリティ(説明責任)の確保など、研究を公正に進めるための方策が整備されているかどうか、です 。

(1)インフォームド・コンセントは過度に誘因的であってはなりません。治験への参加は「特別に最初に薬を使える(ワクチンを接種できる)」ということではありません。このことを研究参加者が十分に理解するよう、工夫された説明がなされなければなりません。

(2)ワクチンもそうですが、新しい薬剤の開発は社会に大きなベネフィット(利益・恩恵)をもたらします。だからこそ、このベネフィットの大きさにリスクが霞んでしまってはなりません。リスクを正確に評価すること、そのリスクを社会に正確に提示することが重要です。

(3)研究開発の段階で、社会的に弱い立場に置かれている人にさらなる負担を強いることのないよう、また逆に、不当に治験から排除されることもないように配慮されなければなりません。また、ワクチン開発に関する情報公開と知的財産保護は鋭く対立します。新型コロナウイルス感染症のワクチンがまさにそうでしたが、情報公開の必要性は社会の期待に応じて高まります。他方で、製薬企業の知的財産を保護することは正義に叶うことです。

ゆっくりと急ぐこと

 医学研究は、病気で困っている人たちのために行われます。しかし、医学研究は人を対象に未知の技術を試すことですから、細心の注意を払って慎重に行なわなければなりません。つまり、「ゆっくり急ぐ」必要があるのです。そのためにはIRBのような倫理的マネジメントが適切に機能することが重要です。


*1
アドボケイト(Advocate)
英語の意味は「擁護」「代弁」「支持」「調整」など。医療や医学の研究では、患者さんの支援者、あるいは研究・医療側と患者さん側とをつなぐ調整者という意味で使われることが多い。

*2
インフォームド・コンセント(informed consent)
医療従事者が必要な診療情報を提供し、患者さんやその家族が病状や治療について十分に理解した上で、患者さん自らの選択に基づき、関係者たちが治療方針に合意すること。

*3
リスク(risk)
一般的には「危険性」「不確実性」という意味。医療や医学の研究では、医療行為によって生じる生命や健康などの損失の可能性を意味することが多い。

(文:医療倫理懇話会)

今回のテーマについてさらに知りたい方には下記の本がおすすめです。
・『研究倫理とはなにか: 臨床医学研究と生命倫理』(田代志門著・勁草書房)

※おことわり:この記事は市民向けのもので、学術的な厳密さよりも、理解のしやすさを優先しています。また、お問い合わせをいただいても回答しておりませんので、あらかじご了承ください。(ホームページ管理者)

タイトルとURLをコピーしました